【ニシノフラワー】31歳で逝く。名牝の成績を紹介
【ニシノフラワー】31歳で逝く。名牝の成績を紹介
どうも。競馬戦線の管理人ボクです。
今回は1992年に桜花賞を制すなど計G1で3勝を上げた「ニシノフラワー」が亡くなった事について話したいと思います。
まずはニシノフラワーについて紹介しておきましょう。
生年月日 | 1989年04月19日 |
性別 | 牝 |
父 | Majestic Light |
母 | デユプリシト |
調教師 | 松田正弘 |
馬主 | 西山正行 |
生産者 | 西山牧場 |
1989年に産まれ1991年に競走馬としてデビュー。
無敗で臨んだ阪神3歳牝馬S(元阪神JF)や桜花賞での圧勝劇はもちろん古馬を退けたスプリンターズSなど活躍が多かったニシノフラワー。
そんなニシノフラワーの現役時代はもちろん、本馬を知らない方にもわかりやすく話していきますので、是非最後まで目を通して頂けると嬉しく思います。
ニシノフラワーの現役時代
ニシノフラワーはデビュー前から期待されていた競走馬ではありませんでした。
輸入牝馬から誕生したニシノフラワーでしたが、細身の体格で目立つ所はなかった事から数名の調教師には管理を断られる程でした。
調教でも目立つ動きがないまま迎えたデビュー戦は出走前週に骨膜炎を発症していた事も考慮して負担の少ないダート1000mが選ばれました。
当日のオッズでは単勝4番人気でしたが、レースでは4馬身差で快勝したニシノフラワー。
2走目に選ばれたのはG3札幌3歳S。選択した理由は使える番組(レース)がないからといった理由だけでした。
そんな中でもレースでは2着のディスコホールに3馬身半差をつけて圧勝。
主戦騎手となっていた佐藤ジョッキーと人馬共に初重賞制覇を成しました。
ここで能力がある事を認めた管理している松田調教師も阪神3歳牝馬Sを視野に入れて一度休養に出します。
休養後は前哨戦としてデイリー杯3歳Sに出走。1番人気に推されたニシノフラワーはここでも3馬身半差の勝利。
迎えたG1阪神3歳牝馬Sでは単勝1.9倍の1番人気に支持されます。
レースでは道中5.6番手を追走し直線に向くと同時に2番手まで進出。残り200mを切ってからは佐藤騎手の手綱に応えるように脚を伸ばします。
内からサンエイサンキュー・外からはシンコウラブリイの猛追にあいますが、2頭に並ばせる事なくニシノフラワーはG1ウィナーとなりました。
当年4戦4勝の活躍を見せたニシノフラワーは1991年の最優秀3歳牝馬に満票で選出されました。
4歳初戦は王道のチューリップ賞から桜花賞へのローテーションが組まれ、チューリップ賞では単勝1.2倍に推されます。
誰もがニシノフラワーの勝利を期待していましたが、結果はなんと2着。
敗因は佐藤騎手の仕掛けが遅くなった事と桜花賞前に馬群を経験させようと思った事から進路が無くなってしまった事でした。
これにはオーナーの西山正行さんもレース後に検量室で佐藤騎手にかなり怒りを顕にしていたとか・・・。
オーナーの心中を察してかレースから2日後には佐藤騎手自らが主戦降板を申し入れ、佐藤騎手の推薦で桜花賞へは河内洋ジョッキー(現調教師)で向かう事になりました。
迎えた桜花賞。オッズは2.3倍に落としましたが人気は譲らず1番人気。
道中7.8番手でレースを進めたニシノフラワーは3コーナーから進出を開始、直線に向いた時には既に先頭に踊り立ちます。
後ろからは前哨戦で敗れたアドラーブルが猛追しますが、ニシノフラワーの脚色も全く衰えず3馬身半差をつけてG12勝目を手にします。
順風満帆とも思われたニシノフラワーですが、ここから低迷してしまいます。
1番人気で2冠目を目指したオークスでは7着。秋初戦のローズSは4着に泣き、牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯では3着と健闘するも勝利には至りませんでした。
総じて距離が長かった、ニシノフラワーは典型的なマイラーだったと後に松田調教師は話しています。
1992年の最終戦に選んだのは古牡馬混合戦となるスプリンターズS。今でこそスプリンターズSは秋G1の幕開けを担うレースですが、当時は12月開催でした。
スプリンターズSではマイルCS連覇中のダイタクヘリオスに次ぐ2番人気に推されます。
レースではこれまでの先行策から一変して後方待機の瞬発勝負を選んだニシノフラワー。
直線に向いてからは溜めていた脚が爆発。次々に古馬を抜き去り最後は先頭で粘っていたヤマニンゼファーを差し切ってG13勝目を手にしました。
ニシノフラワーはこの歳の最優秀4歳牝馬と最優秀スプリンターの2部門を受賞しました。
翌年は安田記念の前哨戦マイラーズカップこそ制しますが、G1には手が届かないまま1993年12月のスプリンターズS3着を最後に引退となりました。
ここまでがニシノフラワーの現役生活時代の活躍です。
世間の反応は・・・
ニシノフラワーが亡くなった事でツイッターの反応を集めてみました。
ニシノフラワーと聞けばマジェスティックライト×ディプリシトと条件反射で出てくるぐらい想い出深い馬なんだけど亡くなってしまったか。
— カズキング (@kazuking1031) February 5, 2020
思えば競馬始めて最初のクラシックホースがこの馬。
こうして未だに競馬でワイワイ出来ることに感謝やね。
気品と儚さの同居する馬だった。
合掌。
お疲れ様ですm(_ _)m
— Tsumoyoshi (@tsumoyoshi) February 5, 2020
ニシノフラワーが亡くなりました。私が競馬場に通い出した年の桜花賞馬です。
残念ながら現地観戦はできませんでしたが、心に残る名牝です。
ご冥福をお祈りします。
ニシノフラワー死亡
— 競馬動画@ザリオ (@keiba_sports) February 5, 2020
最優秀2歳牝馬
最優秀3歳牝馬
そして3歳牝馬にして最優秀短距離馬
距離の適正など気にせず三冠レース全てに出走
あの時代ならではの名牝でした
RIP pic.twitter.com/5WopUpNVkO
悲しみの声がたくさん見られます。これまでの活躍が大きかった名牝の訃報はやはりボクとしても悲しいです。
ニシノフラワーが競馬ファン達に愛されていた事は言うまでもありませんね。
どうか安らかにお眠りください。
ニシノフラワーに一言
ニシノフラワー号。
31歳ともうお婆ちゃんと呼ばれる歳になるまで本当に長生きしてくれました。桜花賞・スプリンターズSでの勇姿は今でも忘れません。
阪神牝馬3歳Sではサンエイサンキュー・シンコウラブリイと激戦を繰り広げましたね。先に天国で待っている2頭とたくさん競争してください。
あなたの可憐なる姿・力強い走りはボク達競馬ファンはずっと覚えているよ。
ご冥福をお祈りします。
ニシノフラワー | |
---|---|
通算成績 | 16戦7勝【7-1-3-5】 |
主な勝鞍 | 桜花賞・スプリンターズS |
生年月日 | 1989年4月19日 |
近親馬 | ニシノファイナル・ニシノマイヒメ |
血統 | Majestic Light デユプリシト |
獲得賞金 | 4億3,590万円 |
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